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福岡高等裁判所 昭和36年(ネ)764号 判決

理由

控訴人主張の日時、主張の小切手を被控訴人が振出し、これが所持人である控訴人が其の主張の日時場所において支払のため呈示したが、支払を拒絶され、其の後小切手法第五一条の時効期間を経過するにいたつたことは当事者間に争いない。

右の時効完成により振出人たる被控訴人に利得があるとすれば、其の償還義務を負うべきものと考えられるので、右利得の存否について検討する。

証拠を総合すれば、

(1)  昭和三二年三月一四日頃漁船第一五豊丸が長崎県五島沖の通称セニバイの瀬で沈没し、訴外北九州遠洋漁船保険組合は右第一五豊丸が委付を受けた保険の目的物件であつて、その保険金を支払つたので、右沈船の所有権を取得するに至つたこと。

(2)  右保険組合においては訴外荒木幸次郎の希望を容れて、同人に資金を出して右沈船の引揚をさせていたところ、同人は昭和三二年九月末頃右沈船を引揚げ、同船装備の二三〇馬力デイーゼル機関一台を訴外寿鉄工所に修理保管方を委託したこと。

(3)  ところが、同年一二月一八日右荒木は訴外河野克記、当時控訴人の内縁の夫であつた訴外金丸(現在婚姻して山口となる)政次郎と共に被控訴人に対し、あたかも右デイーゼル機関が自己の所有に属するものであるかの如く装つて、被控訴人と代金二五〇万円で売渡す旨の売買契約を結び、代金として現金五〇万円の外本件小切手及び約束手形三通(額面八万円一通、五〇万円二通)の振出交付を受け、且つ其の際、目的物件につき他に所有者等の権利者があつて問題を生じた場合は右受領代金は即時返済する旨を約したこと。

(4)  昭和三二年一二月二五日頃荒木は右小切手の割引を訴外山口(当時金丸)政次郎を介し控訴人の母訴外山口シナに依頼し、右山口シナは前記小切手を控訴人名義で割引き、控訴人は右小切手を取得するに至つたこと。

(5)  其の頃右売買の事実を知つた保険組合において、荒木には所有権もなく、また右売却の権限もないことを主張したので、被控訴人は驚き、荒木の所在を探したが発見し得ず、荒木にだまされて右売買を契約するにいたつたことがわかり、結局昭和三三年一月四日前記政次郎立会の上、右売買契約を解除し、前記代金(現金小切手、手形)は被控訴人に返還を受けることとなり、あらためて右保険組合との間に代金一八〇万円で買受の契約をなして右デイーゼル機関を買取つたこと。

(6)  更に、荒木から被控訴人に対する売買にあたつては、前記の如く右荒木の外訴外河野克記各び山口政次郎も売買の折衝、代金の受領等に関与しており、殊に右政次郎は以前から荒木と沈船引揚事業を共同経営し、右小切手の換金も同人の手を通じてなされたので、被控訴人は同人等に対し前記欺罔の事実を挙げて売買契約を取消す旨を告げると共に、荒木の行先を追及してこれが伝達方及び代金の返還方につき協力を求め、同人等もこれを引受け、その後山口政次郎は長崎市内において荒木と会合していること。

以上の事実が認められ右認定と相容れない原審及び当審証人山口政次郎の供述部分は措信し難く、甲第三乃至六号証は右認定を左右するに足りない。しかして右事実と弁論の全趣旨を総合すれば、右デイーゼル機関は保険組合の所有にかかるものであるのに、被控訴人は荒木に欺罔され、同人所有のものと信じてこれを買受け、本件小切手を右売買代金の内金として交付したものであるところ、右事実を知つて該売買契約を取消し、あらためて保険組合と売買契約をなすため、荒木の所在を探したが発見することができないまま、右保険組合との売買契約をなしたものであるが、其の後右取消の意思表示は荒木に到達し、同人との売買契約は取消されるにいたつたものと認定するのが相当である。

そうだとすれば、本件小切手の振出原因たる被控訴人と荒木間の売買代金債務は該売買契約の取消により遡及的に消滅しており、本件小切手上の権利が前記時効によつて消滅しても、被控訴人は本来代金債務を負つていないので、実質的には何等の利得もなしていないことに帰するものといわなければならない。

しかるに、控訴人は右取消の効果は善意の第三者にあたる控訴人に対抗できないから被控訴人は利得償還義務を免れないと主張するけれども、前記の如く控訴人は荒木から割引により本件小切手を取得したものであつて、荒木と被控訴人間の売買契約においての民法第九六条第三項にいう第三者にはあたらない。のみならず、利得償還請求権は被請求者において振出によつて受けた利益の存在を要件とするので、右条項の対抗力の有無に拘らず、この利益が存在ない限り、右請求権発生の余地はないところ、被控訴人は本件小切手振出によつて代金債務の支払を免れたのではなくて、右代金債務自体が取消により存在しなくなつたのであるから、右の意味の利得はない。したがつて控訴人の右主張は採用できない。

以上のとおりであるから控訴人にその主張の利得償還請求権を是認することはできず、本訴請求は失当として棄却すべきものといわなければならない。

よつて、これと結論を同じくする原判決は結局相当であつて、本件控訴は理由がない。

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